「桜(サクラ)」は春の訪れを告げる、日本人の誰もが待ちわびる花の一つです。多くの人が待ち望み、その花の下で集う大切な樹木ともいえるでしょう。
「サクラ」を漢字で書くと「桜」ですが、旧字体では「櫻」とされています。「サクラ」は一様に愛される対象なのに、書く漢字は2通りあるのです。
人の名前でも、氏名をご記入ください」と言われて、旧字体を書く人と新字体を書く人がいますがこれは「戸籍通りに書くかどうか」という観点で使い分けられていることが多いようです。
では「サクラ」のことを「桜」ではなく「櫻」とあえて旧字体で書く人にはどんな心理的な志向が隠されているのでしょうか。
「櫻」と表記する人には、物事の考え方の志向が違っています。普段の生活の中にも「古いもの」を見つけ出し、その古来から続く伝統的な物事を大切にするという傾向があります。
伝統的な行事と言われると、とても大きなお祭りなどを想像することもあるかもしれません。しかしこの「櫻」という旧字体を使う人には毎日の生活が伝統行事として捉えられるということなのです。
例えば朝起きて歯を磨いて顔を洗うのは普通のことですが、それはあくまでも「身だしなみ」ということになっていますね。「櫻」と書く人に置き換えてみると、これは「身を清める」という行為だと考えます。
お仏壇があるご家庭は多くありますが、「櫻」と書く人は神棚をお祀りしている場合が多いようです。お正月には初詣に出かけますが、このタイプの人はそれ以外にもお祭りや行事があるごとに神社へお参りに出かけることを習慣としています。
日頃の生活の中にある様々な物事に対して「正しさ」を求め続けているタイプです。物事を難しく考える傾向があり、周囲の人からすると「気難しい人だな」というふうに見えるかもしれません。
毎日見ているニュースや新聞記事でも、その中にある「正しさ」を求めています。ただ読んでいる・聞いているのではなく、様々なツールの中から「不正」と「正論」を分別しています。
何事も理性的に考えながら正しさを追い求める、なかなか常人では真似のできない心理を強く持っているタイプの人だと言えるでしょう。
「表現方法」というと文芸や絵画を想像しますが、旧字体で「櫻」と書く人の分野は限定できません。生活しているその折々に起こる物事全ての表現方法に強いこだわりを持っています。
例えばお弁当を作るとしましょう。お弁当の中身を考えるときにはまず「お腹いっぱいになるか」「栄養のバランスは?」といったところでしょう。しかしこのタイプの人は「季節感はあるか」とか「今日のお弁当のフォーカルポイントは」など、普通の人では「?」と思ってしまうようなところまでこだわります。
手紙を書くときには「櫻」の文字だけにこだわらず、その他のすべての文字の「意味」「季節」「耳ざわり」「見かけ」など自分のこだわりの全てを1通に込めるのです。
新字体と旧字体、当然ながらどちらも同じ「サクラ」です。しかしあえて「櫻」と旧字体で書くその強いこだわりや物事に対する真摯な態度には脱帽せざるを得ませんね。